海外生活 フランスバスク編

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家族の日

どうしよう。


やれる限りのことは、やってる!


家。未だ見つからず。


最近、寝れない。


昨日なんて朝5時ごろ寝落ちして、起きたら、9時48分。


仕事の責任者からの電話とメール。


今日仕事、9時からだけど何かあった?と。


私は免許がなく、毎日、自転車通勤。


去年、一度、雨の日の会社帰り、

rond point(円形交差点)で私が交差点を自転車で周ってる最中、右から来た車が一時停止もせずに、そのまま突っ込んで来てぶつかり、私が自転車と共に倒れた事があった。


だから、心配してると連絡が来ていた。



、、、すいません。


ただの寝坊です。


と、すぐ連絡し何もしないで家を出た。


1時間15分遅れ。


もぉ、何してんだか。



今日は今日で、朝起きたら、あれ?

なんか、、、濡れてる?

パジャマ?

おしり?


えっ!?えーっ!、、、泣


この歳でお漏らしです。


ありえなーい!笑



えっ!もぉ?


筋肉の緩み?オムツ?老人?


、、、ではないことを願う。笑


ストレス?


コロナ?


なんか、オミクロンの症状もまだ残ってる感があるし。


それから、お腹の張りが半端ない。


常になんか、ある?いる?笑。


ガスか、大きい方が溜まっている感覚。


下腹部が痛む。硬い。


まだ、つわりみたいな、胃液も上がってくる。


味覚、臭覚も、まだ、完璧じゃない。


、、、長いな。



Pipi au lit、おねしょ。


掃除、洗濯が面倒くさい。


もぉなんなのさー!



やること、いっぱいあるのに!


しかも、雨降りそう。


ベッドのマットレスを庭の高速ジェットを使って水洗いし、マルセイユ石鹸でブラシを使って、ゴシゴシ!


しんどっ!笑、、、


まぁ自分がいけないんだけど。笑


もぉ、今日中に乾かなそう…



話はまたそれたが、そんなこんなで?笑



家族会議。


これから、どうする?


長女が生まれたのを気にパリから旦那の故郷に引っ越してきた私たち。


でも、旦那の両親とも、義理の妹とも、特に電話を取り合う訳でもなく、会う訳でもない。


私と旦那はいいけど、子供たちが家族愛を知らずにかわいそう。


家族の温かみをあまり知らないのは、前に話した通り。


ここ5年は夫婦間も喧嘩ばかり。

娘達が仲介に入るほど。


隠れて喧嘩なんて出来なかった。


うちは嘘だけはだめ。


いくら子供のために隠そうとしても、どうせ子供たちは絶対に感じとる。


親が隠してたら、子供は聞いちゃいけないものと思って遠慮して何も聞いてこない。


そして頭の中で勝手にイメージ膨らむ。


結局は教育に悪いに変わりはない


子供たちに喧嘩はわざわざ見せるべきではないけど、もしなってしまったら、仕方ないと。


どんな時でも、その後は必ず子供たちと話し合って、喧嘩をした理由とか、こういうことがあって、とか。


でも、子供たちが悪い訳じゃない。と。


親が、私たちが、絶対にいけない。

こんな親でごめんね。と。


子供と話し合いの時間をそのあとお互い大切にした。


例え、繰り返してしまったとしても。


だって、人間だもの。



、、、でも、この5、6年は酷かった。


私があまりにもストレスで鬱病になって自殺未遂までしそうになったとき。


しかも、子供の前で。


包丁持って。


ただ自分の存在する意味さえ、わからなくなって、旦那にも、長女にも否定された時、ただ、ここから逃げ出したくなった。居なくなりたかった。


でも、その時、自分の命なんだから、自分でどうしようが関係ないと思っていたことが、自分の命が自分だけのものじゃないんだ。


と、やっと、そこで気付いた。


自分の両親のことを思った。

こんな私だけど、私がいなくなったら、子供たち悲しむよな、、、とか。


それからは、どんなに辛くても、そういう行為には、至らなくなった。


それが自分勝手だってわかったから。


自分のエゴだって。


、、、?


なんで、こんな話になったんだっけ?


、、、あっ、夫婦間が、家族が大変だったって話か。


そして。

ついに、去年、旦那からの離婚話。


旦那が仕事で体力的にも精神的にも大変だった中、家庭でも家事もズボラな私がいたら、完璧主義者の旦那からしたら、ストレスでしかなかったのだろう。


離婚話もそりゃでるわ。


居場所がどこにもなかったのだから。


でも、今日、旦那から言われた。


仕事クビになってから、久しぶりに見つけた、続けていきたいと思った仕事だったから、正直ショックだったけど、こういう結果になって良かったかもと、思えてきた。と。


自分自身すごいストレスだったし、他の人にもストレスだったし、この家の不自由さも。


物が全て壊れて更に不自由さが増して、どうにもこうにも、周っていくものも、周っていかなくなってしまっていたことも。


全て終わりにしたかった、投げ出してしたかった、と。


それにコロナやら色んなことが重なり、

家族まで壊しそうになっていたと。


自分(旦那)の周りの友達も、私の周りの友達も、自分の家族(旦那側)さえも、ありのままの自分を受け入れてくれなく、少し歪んだ愛情しかくれなかったのに、私や子供たちは自分をちゃんと見捨てず、そばにいてくれた。

日本の私の両親もだめだめだめな自分を遠くから見守っていてくれた。と。



私に対しての不満は年々増していってたけど、(私も旦那に不満ぶつけてたし)

やっぱり私たちみんなで家族だし、子供たちの親は私たちだけだし、他の誰かととか全くもって考えられない、と。


そして、私だけが自分を(旦那を)なんだかんだでちゃんと見ていると、自分の何処がいいのか、わからないけど、私だけが未だに本当に好きでいてくれてるのがやっと、わかったと。


ごめん。と、ありがとう。と、涙ながらに言われ。


そして、これからは日本に帰国、移住に向けて、頑張っていこうという結論に至りました。



なんとも、ここにきて。


最もベースとなる健康と家族愛がまた、正常にまわり始めました。


まぁまだまだあるだろうけど。


これから、一緒にまた、頑張っていこうと思います。


今日はそんな家族の日になりました。